2009年02月10日

日本経済はネズミ講なのか

 一時期、雑誌などを購入することが無くなっていたのですが、最近特集が充実している場合に限って、『週刊東洋経済』と『週刊ダイヤモンド』は購入するようにしています。それ以外では、『日経ヘルスケア』くらいなんですけどね。

 2/7号の「ハケンvs正社員」という特集号を購入したら、面白いことが書いてありました。

 資本主義というのは、永遠に拡大することを前提としたネズミ講と同じ構造で、成長することが前提だからこそ、ポストの数も給与も、将来増えるんだから、今は我慢しなさいと若年層を働かせることで成り立つんだ。という趣旨でしたね。
 つまり、今の団塊の世代より年上の人達に対して、年金や医療、介護などの社会保障を充実させるために、我々の世代が頑張っているけれども、自分たちの世代はそれを支える世代がいないし、成長は止まっている(もしくは超・低成長)ので、充実した社会保障は望めないという考え方ですね。

 それを聞いて、こんなのを思い出しました。

 「社会保険庁」と円天の「L&G」はどこが違うのですか? − Yahoo!知恵袋
 http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1112979786






 そういえば、毎日変態新聞はその後どうなったんでしょうね。

 閑話休題。

 日本国内の家庭で保有している資産が、推計1,500兆円ですか。
 団塊より下の世代が、そのうち1割を保有しているそうです。
 ということは、団塊より年上の世代は、残り9割を占めた極大富裕層と見るのが正しいんじゃないでしょうか?

 こういうことを書くと、個々の事例を取り出して、「あの老人は子供が独立してもう一人暮らしで、年金で生活しているのに月4万円しかない」とか、「一生懸命働いて、ようやくゆっくりできると思ったら、我々から生活資金を奪うのか」とか、そんな話になるわけです。
 これが、環境問題だと、直接目に見えない分理性が働くんでしょうか、「子孫のために地球環境を守りましょう」と言えるですよね。ところが、日本の国家経済戦略に目を向けると、急にエゴが丸出しになる。
 「自分たちの子供や孫に、十分な暮らしをさせましょう」というスローガンは、彼らには受け入れられないんです。

 個々の事例を、彼らが引っ張り出すなら、私だって引っ張り出しますよ。はっきり言って、みなさんびっくりしますよ。

 後期高齢者医療制度で、年金から天引きになって、少ない年金でどう暮らすか悩んでいると。
 それは可哀想だと、正直思いますよ。でも、その人は親から引き継いだ平屋建ての立派なおうちに住んで、住宅ローンも無く、車はクラウンに乗り、年金は天引き後の振込み金額が34万円くらい(2ヶ月分)。
 え? 同情して欲しいの? 月額手取りで17万円って、正社員で何年働いたらその金額になるの? 一部上場企業で正社員で働いていた私が、月額手取りで17万円に到達したのは5年目くらいですよ?

 バブルの時期に入社し、この世の春を謳歌している人達は、今40歳くらいですか。もうちょっと上かな? 彼らがポストを専有し、給与をもらっている結果、私たちの世代やそれ以降は、低い人件費で働かざるを得ないんです。しかも、30歳代は採用が絞られたため、少ない人数で究極の効率を求められますから、過去バブル期の人間がやったことのない仕事量をこなすことを求められる。
 うつ病の人が増えるのも、分からなくもないです。

 結局、日本は人口減少と経済の縮小という、二大問題が目の前に迫っているのに、政治もマスコミもそこを避けてきて居るんです。しかも、有権者は圧倒的に老人が多い。問題を先送りにすれば、自分たちは死んでしまうんですから、彼らに解決する意志はないんです。

 日本の構造改革を本気でやるなら、選挙権と被選挙権を整理するところからやらないと、ダメなんじゃないかと、再認識しました。
 選挙権は、20歳〜65歳まで(年金受給資格を得るまで)、被選挙権も同じく。
 年金を受給する年齢になったら、それこそ高齢者用シェルターを作って、そこに医療や介護などの福祉資源を集中・集約投入し、彼らが持っていた財産の類は相続税として徴収。
 そこまでやらないと、世代間格差を根底に持った、人口減少と経済の縮小は解決しないんじゃないですか?

 大石英司氏のBlogを読んでいたら、似たような話が出ていました(^^;

 大石英司の代替空港
 http://eiji.txt-nifty.com/diary/

 そうか、オレも社会民主主義者だったのか(笑)。

 屯田兵までは行かないにしても、税の公平性や富の再配分について、もっと日本人は考えなければいけない時期に来ているのに、みんながそこから目を背けている。不思議でたまらないんです。

 自分の子供たちに何か僅かでも財産を残してやりたい、この親心は分かります。
 でも、社会に出てから自宅を購入して一家を構えるまでになってみて、お祝いをしてもらうなどは有ったにしても、親からの支援でどうにか生活するというところまでになったことは有りません。正直、これから先の人生で、自分が不慮の事故や病気で倒れない限り、生活を守ることはできるように、人生の設計をして邁進しています。
 その上で、もしも子供に残してやる物が有るとすれば、それはうちの親がやってくれたように、教育と教養です。
 漢文・漢詩の類は基本。歌舞伎から能、文楽、落語、大衆演劇、古今東西の古典文学、そして料理まで、親から与えられた物のほとんどが無形文化財ばかりです。それが有り難かったし、自分の子供にもそう言った物を与えてやりたいと思っています。

 あ、実家に有る諸橋の『大漢和辞典』を奪って帰らないと。

 実家の土地・建物、その他相続すべき財産が有るとすれば(というか、うちの親がどんな借金をしているか分からないので)、それは必要ない。有れば有ったで嬉しいかもしれないけれど、そこに頼ることは無い。
 ただ、資産の流動性という意味では、年寄りのポケットから若年層へのサポートが進むことが、結果として佳い方向へ進むことはありそうですね。

 どちらにしても、このまま世代間格差を極大化させつつ、社会保障を整備することはできないと、みんなで考える時期がきているのは、確かだと思います。既に遅いのかも知れませんが。


posted by あずまっち at 18:56| 東京 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 仕事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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